
年に1.2回、クライミングプラトー(停滞状態)に陥ることがある。主な原因は他と比較したり、グレードに囚われ過ぎてしてしまうこと。そうなると自分のやりたいこと、やるべきこと、やらなければならないことがわからなくなり、登りも思考もまとまらず上手くいかなくなる。そこから抜け出すためには自分に向き合うしかないのだけど、ぼくの場合は「岩に挑戦する」ことで停滞から抜け出してきた。
何かに囚われたクライミング
クライミングにグレードは付き物。気にしないようにしても気になってしまう。特に、自分が何本も登ったことのあるグレードが登れないときはかなり凹む。目に見える数字は目標や意識付けしやすい反面、一度囚われてしまうと厄介でもある。メンタルが不安定になると途端に他人の行動が目に止まるようになり、不必要に比較したりする。グレードという数字だけがクライミングの本質であるはずがなく、ましてや他人との優劣など全くもって無意味。しかしそれらに必要以上に囚われて自分のやりたいクライミングを見失いそうになるのだ。

新たな体験と可能性の拡大

「クライミングの悩みはクライミングでしか解決できない」。負のスパイラルに陥りそうになったときいつもこう考えるようにしている。ボルダーしかしなかった頃は、落ち込んだ気を奮い立たせ岩場に足を向けたりして、消えかかった炎に油を注いでいた。岩場に行くまでは決して楽しいとは言えない心持ちでも、たどり着いてしまえば自然のなかにいるのが心地よく、心がフラットに浄化された。
ここ一年は多様なクライミングにも挑戦してきた。元々自分の知らない世界を知りたがる性格なので、ハイボール、リード、クラック、マルチピッチと次々に手を出した。今となってはこれがかなり良かったと思っている。
ハイボールに挑戦するようになったきっかけは瑞牆のKUMITEだった。初めて一人で訪れて目の当たりにしたとき「こんな岩を登れるのか」と怖気付いたのを覚えている。しかしその3分後にはマット配置を熟考している自分がいた。リードのきっかけはグッぼるの会員さんがリードを練習したいと言ったタイミングで道具を揃えた。人工壁で何度か登るうちに、その高度感やボルダーでは味わえない前腕のパンプに何故か興奮したのを覚えている。

ハーネスやロープがあるならと、クラック経験者に引っ付いて行った岐阜県の瑞浪。スポートルートで5.12が登れてもクラックとなると5.9を登ることさえできず衝撃だった。しかし、出来ないことを出来るようにするのが楽しくて、苦しくてもワレメにしがみ付いて三重県の名張や神須ノ鼻にも挑戦した。マルチピッチでは御在所のカリフォルニアドリーミングに挑み、日が落ちた暗闇の中で慣れないクラックをもがき苦しみながらも何とか登りきりトップアウトした。一日かけて肉体的精神的苦しさを乗り越えて登りきったときの清々しい気持ちはまさしく初体験だった。
そうやって少しずつグレード以外のクライミングにも挑戦することで、クライミングがもたらす多様性に気がついた。新たなフィールド、岩、景色、時代、歴史、人、技術。全てが新鮮でどんどん僕の身体と心を豊かにしれくれるものばかり。何かに囚われた狭い視野では決して見ることのできない世界だ。

今だからこそ、せっかくの登攀能力もボルダーだけで終わらせるにはもったいなすぎると思う。もちろんグレードという限界の追究をやめることはない。しかしボルダラーではなくクライマーに憧れる。オールジャンル。またいつか現状に満足できない想いに駆られるかもしれない。そのときはどのように乗り越えようか、すでに楽しみだ。

あるクライマーの言葉
I think who should keep on learning from the history, searching essence and conveying richness of climbing to everyone deeply widely.
これからも様々なクライミングに挑戦し、その感覚を体験していきたい。


