躍動的なクライミング、ひと目で惹かれた憧れの課題
岐阜県美濃市にある日本有数のボルダーエリア瓢ヶ岳。有名な課題がひしめく中ひときわ惹かれる課題があった。その名は“夜陰”グレードは四段。サポートクライマーの日比野君が過去に登った映像を見てダイナミックなムーブに心打たれたのを鮮明に覚えている。自分もいつか登りたい、心の片隅でそう思いながら二年が過ぎ迎えた今年の秋。憧れの課題との距離を確かめるべく瓢へと足を運ぶ。2020年10月5日、夜陰と向き合い始めたこの日はまだ少し暑かった。
足りない柔軟性を補うニーバーという新たな選択肢
初日。宿題であったスズメバチ回収した後に夜陰の岩へと向かった。顕著なホールドがいくつかありムーブの選択肢も数通りある、初見はそんな印象だった。とりあえず映像で記憶に残っていたムーブでトライを始める。序盤のホールドは割とポジティブで3手目まではスムーズに進んだ。その後左膝を当てて左手を結晶に送るパートでつまずく。保持というより結晶に指を点で当てて挟み込みで効かせるイメージ、数トライ練習しただけで指に穴が空いてしまい初日は核心に辿り着くことすら出来ず終了。
二日目。この日は初めから夜陰に挑む。前回こなせなかった結晶を取りにいくパートは思いのほかすぐ出来た。その後、右足を大きくスイングしくぼみにフックをかけるがそこで動けなくなってしまう。フックがかかっても股関節が固く腰が入らない、今の自分にはこの動きは出来ない...。リップに右手でランジするムーブ、とてもダイナミックでひと目で惹かれた。だがしかしその理想はあっけなく断たれてしまう。不甲斐ないと自分の柔軟性の無さを恨んだ。諦めかけていた時に知人のSNSの投稿を目にする。そこには全く違うムーブ、ニーパッドを用いた画期的な方法が映っていた。「これならもしかして...」一度登ると決めたからにはただでは諦めたくはない、淡い期待を抱く。こだわりを捨てたことによりより一層、完登への執着心が強くなっていた。
甘くない現実、ニーバーに苦しむ日々
三日目以降ニーパッド用いたムーブに大幅に変更。予想してたよりずっと難しく、三日目はニーバーのパートは一度も成功出来ず、その他のムーブを練習して終了。このニーバー何かコツがいるようだ。
四日目。初めてソロで岩場へと向かう。今までは先輩である村口チーフに連れて来てもらっていたのでソロで来るのは新鮮な気持ち、じっくり思考するにはソロの方が集中出来ると感じた。中々ニーバーのパートが決まらずに時間だけが刻々と過ぎ気付けば夕暮れに。今日もダメか...と岩の前に座り込んでいるとその日たまたま瓢に訪れていた日比野君と店長に遭遇する。二人からアドバイスを受けると不意にニーバーがハマり成功。たまたま上手くいった不思議な感覚、一先ず全てのムーブが出来るとわかったことに喜びを感じた。
五日目。岩場に着くとすぐさまニーバーのパートを確かめる。この日一回目で成功するとかなり完登が現実味を帯びてきた。あとは繋げるのみ。ムーブを頭の中で整理し繋げトライを始める。しかし今まであまり苦戦していなかった三手目取りでヒールが抜け落ちるトライが続く。「そこじゃないのに...」ふつふつと苛立ちが募っていく。そんな中嬉しい知らせが耳に入る。サポートクライマーの亀山くんがサンクタム(V15/16)を第二登、村口さんが瓢の難関課題ダマスカス(三段)を完登。二人ともスゴイ!と喜びを感じると同時に自分の不甲斐なさに嫌気が差す。そして迎えたこの日ラストトライ。ようやく三手目が止まりニーバーのパートも成功、このまま登りきれる!焦る気持ちを抑えられず体制が整っていないまま右手を伸ばした。ホールディングは浅く右手は外れそのままの勢いで体が大きく左へ流れ落ちる。ドスッと全身に鈍い音が響いた。腰を岩に強打し、しばらくの間身動きが取れずにうずくまる。マットの配置が悪かった。幸い打撲程度で済んだが自分の未熟さ故に招いた結果、悔しさを噛みしめ痛む腰をかばうようにしながら岩場をあとにする。
夢中に勝る努力はない
あの怪我から五日後。腰の痛みに加えてニーバーの立ち込みムーブを繰り返した代償に膝裏も痛めていることに気付く。同じ動きを繰り返すと一定の負荷がかかり続け故障に繋がる。今シーズンは諦めて次の機を待つのがベスト、そうすべきだと感じながらも自然と岩場へと足を運んでいた。完登への執着心もあるが岩で一つの課題にここまで打ち込んだのは初めて。徐々に夜陰に合わせるかのように洗練されていくムーブ、ほんの少しの気付き、その過程にいつしか夢中になっている自分がいた。
限界を超えたクライミング、四段を完登し思うこと
六日目、七日目は完登に近づきながらも決めきれないトライが続いた。「あと少しなのに...」身体はもちろん、精神的にも徐々に追い詰められいく。擦り切れそうな思いで迎えた八日目。来週からは気温がグッと下がり雪の予報、この日が今シーズンラストチャンス、ここまできたらやるだけだと自分に言い聞かせるように心の中で唱える。そしてその瞬間は不意に訪れた。
周りのクライマーの声が遠ざかるように気にならなくなる、頭はスッキリしムーブだけに集中していた。ほぼ自動化されたムーブは無意識で自然体、一手ずつ確実に手を進めていく。最も苦手としているニーバーのパート、呼吸を止め胸に力をためる、一気に腰を入れ身体を右に少し流すとこれまでにないほど安定してとまる。フラッキングで右足を流しバランスを整え手を伸ばす。両手のコンプレッションと腰を張り続けるボディテンション、そして跳び出す体制へ。左足を大きくスイングしリップへと手を伸ばす。何度も何度も練習したリップ取り、遂に捉えた。呼吸が荒ぶる、興奮してとても冷静ではいられなかったがここまできたら大丈夫、一手ずつ確実に。込上がる気持ちは抑えられずに岩の上で雄叫びを上げた。自分でも驚くほど感情的になり、その事実を徐々に認識すると目頭が熱くなりしばらくの間岩の上で余韻に浸っていた。遂に成し遂げたと。
自己最高グレード四段、文字通り限界を超えたクライミング、全てが報われた最高の瞬間だった。憧れの課題「夜陰」と向き合い続けた八日間は様々な感情が入り混じりながらもとても充実していて、純粋にクライミングに夢中になれていた。こうして経験を積み重ね成長していく、 今は次に巡り合う岩との出合いにワクワクしている自分がいる。


